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「どう生きるか なぜ生きるか」(稲盛和夫著)を読んで

感想文:河合孝一郎

 毎年、この季節になると、平日に働き盛りの青年のお遍路さんを見る。彼に何があったのか。灼熱の太陽の下、一人きり、何を思い歩き続けるのか。
 誰もが年をとる。アランドロンや原節子でも年をとる。しかし、人は突然老いるわけではない。気がつけば自分が年をとっている。誰もが自分が年を重ねてみて、初めて人間が老いることを知るのではないか。私もそうだ。体も無理が利かなくなり、目も弱くなる。しかし、死が訪れるまで人は生きていかなければならない。
 稲盛和夫は年をとれば、とるほどよい仕事をする。老いれば老いるほど難しい仕事に挑戦する。体が衰えても心で仕事をする。仕事をすることよって心を高める人だからそれができる。稲盛氏はこの本の中で「いかなる運命にも感謝の心で対応せよ」という。稲盛氏自身もこれは最も難しいことだと語る。「苦しい時、災難にあった時も運命が、また神が私にこれだけの災難を与えたとするなら、これはこの苦難を耐えることによってこの先、何かよいことが私にあるはずだ」と思い努力を続けることが絶対条件だと語る。
 私はお寺で座禅を組むことは賛成だし、お遍路をすることもよいと思う。それらを修行といってもよいのだが、それは楽な修行といってもよいのではないかと思う。
 本当の修行はトラブルメーカーに接して痛めつけられたり、苦しみながらも平常心を失なわないようにすることが修行ではないか。仕事を通じて心を高めることが本当の修行ではないか。
 稲盛氏は物事を決して他人のせいにしない。また自分のせいにして自分を責めることもしないに違いない。他人も責めず、自分も責めず、どうしたらこの苦しみが克服できるのか、それだけを心に強く思い、現実に立ち向かう。それが「心を高めること」。
 稲盛和夫は昨日も今日もそして明日も決して心を高め続けることをやめはしない。

2013.5.31.


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