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「 運に選ばれる人 選ばれない人 」(桜井章一)を読んで

 感想文:大阪営業所 高橋裕樹

人が日々の生活を送る中でなされる行動や考え方のひとつ一つがまとまって、「人生の運」という全体をつくり上げているのですが、「運」の質を決定づけるのは、紛れもなくそれらの行動や考え方にどれだけ「真っ当」さが含まれるかによる。「運」をめぐって語られていることもまた、私なりに思う勝負や人生における「真っ当」さの作法についてなのです。

「真っ当」なことは一見、簡単そうに見えます。事実、あるポイントを押さえれば、どんなものでも力を入れずして自然に「真っ当」さは具現化できます。なぜなら、「真っ当」とは、自然の摂理や人間としての基本といったごく当たり前のことに根ざすものだからです。真っ当でないものだらけの世の中でそれに気づき実践するのは意外に難しいものがあります。すなわち、そこが今という時代を生きる難しさなのだとも思います。

「運」も「成功」も真っ当さからはほど遠い幻影に思えてしまいます。きびしいかもしれませんが、真っ当でない「運」をつかんでも、やはり真っ当でない人生があるだけです。

運やツキをもらうにはどうすればよいのかという答えを期待しているわけですが、それは順序が反対なのです。矛盾しているようですが、運やツキを値打ちのあるもののように求めてきたわけではありません。運が先に目標物のようにあってそれに向かうのではなく、やるべきことを日々ちゃんとやっていれば、その結果として運に恵まれると思っているからです。

運は求めてやってくるのではなく、運が人を運ぶ、のです。
「運を求める人生」は、おのずと「運に運ばれた人生」になっていくはずです。

2022.6.30.


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