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佐賀県唐津市 名護屋城跡を訪ねて

2014年11月06日

季節はススキから紅葉の景色へと移っていきます。
あいにくの降水確率60%の中、11月3日今日しか行けないと強行して参りました。

まずは腹ごしらえをするために立ち寄ったうどん屋さん。福岡県内、近郊に20店舗展開している「牧のうどん」。



博多うどんは、概ね水しめをしないため、柔らいのが特徴です。
博多っ子はそれがうどんということで幼少より食べ慣れているのですが、四国育ちの小職にはどうも馴染めませんでした。どうしてもうどんが食べたい時にはこの店の固麺をいただきます。
そして、ねぎかけ放題、スープおかわり自由ということで、運ばれてきたごぼう天うどんは、トッピングをするとこうなります。



ところで、うどんの発祥については諸説あるようですが、空海上人が平安時代に中国から持ち帰り、日本で初めてうどんが定着したのが博多だと地元では言われています。
博多に帰港した際、貧しい民の食生活を嘆き、うどんの作り方を伝授したというものです。やせた土地と水源に恵まれていない環境は、讃岐と共通点があるのも頷けます。空海上人の博多での功績は、機会があれば「篠栗八十八か所」で紹介していきたいと思います。

さて、本題に戻りますと大河ドラマは現在、軍師官兵衛が秀吉の命を受けて、朝鮮へと出兵をしております。
この地に全国から戦国大名が馳せ参じ、一時は30万人を超える人口を抱えたこの小さな町名護屋。大陸に最も近い場所として選ばれたことには感慨深いものはあります。
ただ、一気に膨れ上がった人々には水が足りず、絶えず水争いが起こったということです。
そして、入り組んだ湾から山道を駆け上がった狭いスペースに大名達の陣所が点在しており、現在では草木が覆い茂り、入っていくのは極めて難しいです。



いよいよ、城跡に到着しました。厚い雲に遮られ暗い写真で申し訳ありません。


城跡には、この地で亡くなった方々の墓が数多く見受けられます。しかし、江戸時代には一揆を防ぐため、本丸等建築物はすべて取り壊しになっています。



ここは秀吉が住居として使っていた山里庵。わが故郷「名古屋」を思わせる地名が気に入り、約2年間ここを拠点に朝鮮出兵の指揮をとり、その間に茶会、能などの宴が度々催されたようです。



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天候が悪いため、人はまばらでした。いつもは玄海灘のイカで有名な隣町の呼子(よぶこ)目当ての観光客で、大変に賑わいます。遠くは関東からもイカを食べに来られるお客さんがあるようです。地元ではヤリイカと呼びますが、剣先イカのことです。
今度は、家族を連れてイカを食べに来たいものです。



参考URL: 名護屋城(佐賀県唐津市)


( 福岡営業所:小野 )


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